
乗り込んだローカル列車には、もの売りが入れ替わり立ち替わり現れた。乗客がすし詰め状態で立錐の余地もない急行列車に比べて、近郊を走る各駅停車は、混んでいるとはいえもの売りが動くスペースがあるからだ。もちろん彼らは無賃乗車。だが、とがめる人は誰もいない。
次々と売れているのは、キュウリの仲間のウリ科の野菜やにんじんといった生野菜。暑い季節には気温が40度を超えることもあるのに、停電がたびたび起こるバングラデシュでは、列車でエアコンを使用しない。中国から払い下げられたという車両には扇風機がついているが、これも使わない。車体にはドアがなく、窓は全開だ。
売り子の少年は、声がかかると皮むき器を使って手早く野菜の皮をむく。ウリ科の野菜らしい青くさいにおいが、車内いっぱいに立ちこめる。使い回しのペットボトルに入った薄茶色の水でさっと洗い、同じく古びたペットボトルに入った塩を振って乗客に手渡す。ひとつ5タカ。約7円。
「野菜は水分が豊富だし、塩をかけるのでミネラルも補給できます。列車で食べるおやつに、ぴったりです」
パキッ。ポリポリ。あちこちで野菜をかじる人びとが、小気味よい音を立てる。「よかったら半分いかがですか」。リポンと名乗る年若い男性が、キュウリを割って差し出してくれる。混雑した車内で座席を確保し、荷物の安全に配慮してくれた気持ちのよい青年だ。しかし野菜を洗った茶色い水と、黒ずんだ爪が頭をよぎる。
「もの売りをしているのは、ほかに仕事がない貧しい人びと。だからわたしは、列車内でよく食べものを買います」と、中年男性。彼自身もけっして裕福には見えないが、少なくとも乗車券を購入して鉄道に乗るゆとりはある。
少年が、ココナツの実とパームシュガーを米粉で包んだバングラデシュの伝統菓子「ババピタ」を持って現れた。12歳。平日の昼間。学校は。いろいろ飲み込んで、ひとつ5タカで買い求める。ふんわりと温かい蒸したてのそれを、少年は古新聞で丁寧にくるみ、極上の笑顔と共に差し出した。
■取材協力:Bangladesh Tourism Board
■江藤詩文(えとう・しふみ) 旅のあるライフスタイルを愛するフリーライター。スローな時間の流れを楽しむ鉄道、その土地の風土や人に育まれた食、歴史に裏打ちされた文化などを体感するラグジュアリーな旅のスタイルを提案。趣味は、旅や食に関する本を集めることと民族衣装によるコスプレ。現在、朝日新聞デジタルで旅コラム「世界美食紀行」を連載中。