エジプトのクーデターでモルシー前大統領が排除されてから、3日で1年がたった。6月には軍出身のシーシー大統領が就任。2011年2月のムバラク元大統領退陣から続く政治混乱が軍主導政権の復活という形で収束しつつある中、反ムバラク政権デモの原動力となった若者たちから絶大な支持を受ける「革命バンド」が、若者らの抱く閉(へい)塞(そく)感を歌い続けている。(カイロ 大内清)
大規模な反政府デモでムバラク政権が崩壊した11年2月11日、首都カイロ中心部のタハリール広場に集まる若者たちが、ある歌を口ずさんでいた。
無名のロックバンド「カイロキー」が、抑圧された自由を取り戻すことを訴えた『自由の声』。デモの最中の同広場で収録され、動画投稿サイトのユーチューブで発表されたビデオクリップは、瞬く間に数百万件のアクセスを集めた。
若い世代からカリスマ的人気を獲得したカイロキーは、その後も若者の心情や社会問題を歌ったヒット曲を連発し、“エジプト革命”を象徴するバンドとみなされるようになっていく。
「(政権崩壊前後に)発表した曲は、以前から書きためていたものだった。同世代の声を代弁しているという自負はあった」とボーカルのアミール・イードさん(30)は語る。
政変前の同国では貧富の格差が拡大し、若者層の失業率は4割を超えていた。こうした閉塞感を歌で表現してきたイードさんは当時、「ムバラクが去れば、若者の時代が来ると無邪気に信じていた」という。
■ ■
「ムバラク後」のエジプトはしかし、迷走する。
反政権デモの旗振り役となった若者らの民主化グループ「4月6日運動」は、暫定統治を担った軍への抗議デモを続けたが、メンバー間の反目から分裂した。
12年にイスラム原理主義組織ムスリム同胞団を出身母体とするモルシー氏が政権を握ってからは、イスラム勢力と世俗派の権力闘争が激しさを増し、13年6月の全国的な反政府デモと、その後のクーデターへとつながった。その間、4月6日をはじめとする若者グループは、同胞団に接近したり離れたりと、腰の定まらない対応を繰り返した。
4月6日の指導者アハマド・マーヘル氏(33)は記者(大内)に「古い世代の作った社会を壊すこと」がムバラク政権打倒の目的だったと語ったことがある。
しかし、結果的に若者らは政治の動向に翻弄されて求心力を失い、多くの一般市民から、デモや衝突で混乱を引き起こす「疫病神」とみなされるようにさえなった。マーヘル氏は昨年12月、無許可でデモを組織した罪で禁錮刑を言い渡され、現在も収監中だ。
■ ■
エジプトでは昨年のクーデター以降、治安機関が強い権限を持ち、政権と対立する同胞団を取り締まるだけでなく、あらゆるデモに警戒の目を光らせている。拘束されている者への警官の暴力が増加しているともいわれる。
社会の不満を力で押さえ込もうとする、ムバラク政権時代さながらの手法。イードさんは「次は僕たちの音楽が規制の対象になる番かもしれない」と話す。
5月の大統領選でクーデターを主導したシーシー氏は、「自由」を制限してでも秩序を回復させると訴えて圧勝した。しかし、若者層の棄権が目立ち、投票率は約47%と低迷。背景には、若者の政治への失望があると指摘される。
「●(=歌記号)すべての通りを、道路を、爆破してやりたい」
最近発表されたカイロキーの最新アルバムの一曲に、イードさんはこんな歌詞を乗せた。一度はムバラク政権を崩壊に追い込むまでの破壊力をみせた若者たちの怒りは、行き場のないまま、エジプト社会の底流にくすぶり続けている。