
4月16日の旅客船セウォル号の沈没事故による死者数が日ごとに増えている。この悲劇で300人余りが亡くなったことがほぼ確実になった。
多くの死者が出た要因に韓国の儒教文化を挙げる欧米のコメンテーターがいる。船長と乗組員が客室にとどまるようにと指示したのに従い、船が傾いて海水が流れ込む中でも多くの生徒(旅客の多くが高校生だった)が船内にとどまった。より個人主義的な文化の中で教育を受けていれば、大半の生徒はこの指示に疑問を持ち、独自の判断で船外に脱出していたはずだ、という主張だ。
例えば米地方紙ダラス・モーニング・ニュースのラルフ・デラクルス氏は「あの船に乗っていたのが米国人生徒だったならば、あらゆる手段でフェリーから脱出していたはずだ。だが個人よりも集団を優先するアジアの文化では指示に従うことが絶対だ」と書いた。この主張は、東アジア人は物事を自分の頭で考えずに当局の言いなりになるという、依然として多くの欧米人の持つ文化的偏見に沿ったものだ。これは多くの点で誤った見方だ。
まずは東アジア人が権力者に疑問を持たないという仮説だが、多くの人々がこの(あるとされる)傾向を誤って孔子の教えのせいにする。だが孔子はたとえ両親に対してでも、盲従するように説いたことはない。父が息子に盗みを教えたら息子はそれに従って盗人にならなければならないのだろうか。これは「孝行息子」のとんでもない解釈だ。孔子が説いたのは目上の人々を敬うということだ。われわれ東アジア人も常に年長者と衝突する。礼儀をもって接しているだけだ。
敬意を示すことは他者の不当な権威にいたずらに従うということではない。礼儀正しく異議を唱えることはできる。孔子自身の人生がその好例だった。低い身分の出身だったが、時の権力者たちへの抵抗もいとわなかった。儒学者の荀子は「道に従いて君に従わず、義に従いて父に従わざるは、人の大行なり」と説いた。
欧米文化の方が個人主義が色濃く、その結果として同様の状況下では欧米の学生の方が自由に判断できる、という主張はどうだろうか。当たっているかもしれないが、米国人ブロガーのジョン・ボチカイ氏がこの件に関する分析で指摘したように、非常時に過剰な個人主義で秩序を乱すことが乗客のためになるかどうかは疑問だ。大混乱に陥った船内で数百人の若者がそれぞれに「考える」場面を思い浮かべてみるといい。効果的な危機管理どころではなく、パニックが起きるだろう。
非常時に必要とされるのは無謀で無責任な「自由」ではなく自制と協力だ。この点で生徒たちはよくやった。彼らは慌てずに指示に従い、互いを助け合った。生存者は、生徒たちが救命胴衣を譲り合う場面を目撃した。彼らは自分より集団の必要性を優先した。そのことは間違いではない。最も緊迫した状況で公共心を発揮したのだ。彼らの行動は、仁者は「己立たんと欲して人を立てる」という孔子の教えをまさに体現したものだった。欧米人コラムニストの論じるように、「個人主義的」でなく、早く脱出しなかったから愚かだと断じるのは無知・無神経以外の何物でもない。
真の悲劇は生徒が大人を信頼したことではなく、大人が彼らの信頼に応えられなかったことだ。事故の原因としてさまざまなミスが指摘される。規制を緩めて老朽化した船舶の輸入と改造を認めた政治家、検査時に安全基準を徹底させなかった当局、過積載を許可したとされる船の所有者。最も重大なミスを犯したのは船長と乗組員だ。彼らは誤った指示を出し、警備艇が到着した際にも船内に取り残された人々に知らせることなく脱出した。
若い韓国人は社会の腐敗を目の当たりにした。今後の最大の問題は、韓国が世代間の信頼をいかに回復するかだ。韓国がこの課題を克服するには、欧米式の個人主義ではなく儒教の倫理観と公共心がさらに必要とされるだろう。つまり、沈没した船に乗っていた生徒たちが行動で示したような資質だ。
(筆者のキム・ヨンオク氏とキム・ジュンキュ氏は「The Great Equal Society: Confucianism, China and the 21st Century」の共著者。キム・ヨンオク氏は韓国の現代思想家で儒学者)
中国の伝統音楽を代表する擦弦楽器、二胡の演奏者として音楽界に大きな影響を与え続けた演奏家の閔恵芬(ミン・フイフェン)さんが12日、上海市内の病院で死去した。69歳だった。閔さんは二胡の演奏に、時には厳しく、時には限りなく温かい生命感を与え、多くの人を感動させた。後進の演奏家にも大きな影響を与え、音楽関係者やファンから「二胡の皇后」などと呼ばれた、中国の二胡演奏界、伝統音楽界全体における「至宝」と言ってよい存在だった。新華社などが報じた。
1945年生まれ。8歳の時に、父親から二胡の手ほどきを受けた。13歳で上海音楽学院付属中学に入学。続いて上海音楽学院本科(大学)で学び、1978年で、中国でも最もレベルが高い伝統音楽団体として知られる上海民族楽団に入団した。
中国では、共産党政権の中華人民共和国成立後も、「旧支配階級のもの」と決めつけた一部の楽器(古琴など)を除き、伝統楽器の演奏法の技術革新が続けられた。閔さんは曲目などについて制限の多い中で、古い伝統と新たに獲得された技術を融合させた、「前代未聞」の芸風を確立させた。閔さんの演奏は、続く世代の演奏家にとっても「まねのできない、標準的な演奏」として、大きな影響を与えた。
80年代には乳癌(にゅうがん)を発症。一時は、音楽関係者からも死亡説が流れるほどの危険な状態にたったが復活した。二胡はもともと、長江沿岸地帯で発達した楽器だが、閔さんは回復後に中国北部の芸能である京劇のメロディーを二胡のレパートリーに取り入れるなど、新たなる表現の世界の獲得に、積極的に取り組んだ。閔さんの復帰は「まさに奇跡」と言われた。
新華社報道によると、閔さんはしばらく前に脳出血の発作を起こし、手術を受けたが昏睡状態が続いていた。
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◆解説◆
1980年初頭ごろから、中国の伝統音楽の実情が、国外にも知られるようになった。中国が文化大革命という、「鎖国状態」を脱した後、閔さんの演奏は、音楽芸術を通じて世界に「中国を知らせる」という役割を果たしたと言える。
二胡については、演奏家として閔さんの後輩である姜建華さんも代表的な存在のひとりで、姜さんの演奏する二胡独奏の代表曲「江河水」に、日本の指揮者である小沢征爾さんが涙を流し、日本を活動の基盤にすることの手助けしたとの逸話がある(小沢さんが涙を流して感動したのは、閔恵芬さんの演奏との説もある)。
どちらかと言えば、閔さんの演奏はどっしりとした安定感の中にも、精神面におけるデリケートさを強く感じさせ、姜さんの演奏は――特に若い時代は――超人的な集中力で聴く者を圧倒させる風格が目立ったが、いずれにせよ、閔さんや姜さんの演奏は中国の伝統音楽の演奏のレベルの高さを国外にも示し、中国の芸術文化に対する“リスペクト”を改めて獲得することになった。
もちろん、その他の演奏家についても国外で知られるにつれ、世界的に「精神性」と「技術力」が大いに評価されるようになった。
閔さんが音楽家として大成するまでのキャリアを見ると、社会主義独特の「才能育成システム」が理想的に機能したという面がある。社会体制側が認めれば、飛びぬけた才能を持つ若者を全力で養成する方式だ。
現在の中国で、社会主義方式の才能育成システムもなお機能しているが、「世に出る」ためには経済効率も重視されるようになった。今後、中国社会として閔さんのような不世出の音楽家をどれだけ出せるかは、不明な面もある。(編集担当:如月隼人)