美術商店主でテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系)の鑑定士の一人、安河内眞美さん(59)は、肝がんの3~5%といわれる肝内胆管がん、その後は成人T細胞白血病(ATL)と、2度の希少がんを乗り越えた。友人による情報収集のおかげだった。(日野稚子)
肝内胆管がんの診断は平成11年でした。きっかけは、1週間ほど食欲が全くない状態が続いたこと。その前後には講演会の壇上で立っていられなくなった。都内の総合病院を受診したけど原因がなかなか分からず、検査入院をして「手術が必要、外科医と話を」と告知されました。
その話をした友人の一人が米国人女性でした。頭の良い人で、物事に対処する際に何をすべきかを即座に判断できる。初診の病院では心もとなくて、がん専門病院でセカンドオピニオンを受けるときも立ち会ってくれました。
「十中八九、肝内胆管がん。確定診断には患部に針を刺す生検がいるが、がんだったら周囲に散らすことになるから危険」。高齢男性に多いが国内症例は少ないとも言われました。それなら、米国なら多くの症例もあるかもしれないと、彼女がニューヨークの病院を探し当ててくれた。検査の画像などを事前に送り、電話で米国側と話をした結果、「名古屋にも良い医師がいる」。名古屋なら(米国より)近いし、言葉も通じる。ありがたいとホッとしました。
手術は11年6月です。事前説明ではステージ4との診断で、立ち会った友人たちはドキッとしたそうです。私はベストチョイスをしたと思っていたし、「手術にはちょうどいい時期だね」と、軽い感じで医師から言われ、シリアスにならずに済みました。肝臓は半分ほどの切除でしたが、周囲への浸潤もリンパ節転移もなく、1カ月もしないで退院。数回は名古屋で検査し、東京のがん専門病院での経過観察になりました。
肝内胆管がんから5年目、16年2月に首の付け根のリンパ節が腫れた。翌3月はがん専門病院での定期検診というタイミングで、検診で症状を話し、2週間後に血液内科でATLと。2度目のがんだけど、同じじゃない。今度は「余命1年で、治る病気じゃない」と説明された。
このときも別の友人がインターネットでATLの治療実績がある鹿児島県の病院を探してくれた。ATLって九州出身者に多いウイルス性白血病で、感染者の1千人に1人が発病する。受診したら治療は骨髄移植、方法も2種類あると分かった。長期入院で家族の看護もいるからと、九州がんセンター(福岡市)を紹介されました。入院は6月で、骨髄移植のドナー(提供者)は白血球型が一致した兄、移植方法は「ミニ移植」でした。
ミニ移植は骨髄穿刺(せんし)で骨髄液を取らない。ドナーは数日間の点滴で血液中の白血球などを増やし、必要な血中成分だけ、成分献血のように体外で分離する。私は、移植前の抗がん剤の連続投与で毛髪、味覚や食欲がなくなったけれど、さほどきつくなかった。
移植は10月に受け、10日ほどで移植片対宿主病(へんたいしゅくしゅびょう)(臓器移植に伴う合併症の一つ)が始まりました。皮膚が赤くなったけれど、これも私自身はさほどでもなかった印象です。翌年1月に退院しましたが、その後、肝機能低下で再入院。肝機能が戻った3月には再度退院し、テレビ収録の仕事にも6月には復帰した。
でも、免疫抑制剤など多くの薬を服用していたから、人混みでは感染症予防にマスクをしてました。用心にこしたことはないと続けていたけど、薬も減った。もういいかな、と思えるようになったのが3年目で、温泉へ出掛けました。壁に布が飾ってあったのを見て、きれいだけど何か足りないな。それがきっかけで、日本画と、その絵と合う色柄の着物や羽裏の布で表具した掛け軸「風香」を発案、約300点を手掛けました。
今、10年目ですが、定期検診は続けてます。ミニ移植が当時は新しい方法だったので経過追跡対象だし、健康チェックの一環と思っています。
2回の入院生活は6歳上の姉が支えてくれて、兄姉も大事にしないといけないと思うようになった。2回とも希少がんで、やるべきことが決まればやるだけと思えたけれど、自分1人だけでは到底、病院探しも無理だった。身内と友人に助けられましたね。
【プロフィル】安河内眞美(やすこうち・まみ) 昭和29年、北九州市生まれ。上智大外国語学部ロシア語学科卒。銀座の絵画専門ギャラリー勤務、米国留学を経て、55年から都内の老舗古美術商で修業を始める。60年、東京・六本木に古美術店「洗心」(現ギャラリーやすこうち)を開業。平成8年からテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に日本画の鑑定士として出演。著書に『知識ゼロからの日本絵画入門』(幻冬舎)など。