「これから長い間帰れないとなる中で、どうやって集落や農地を維持していくか。農地は親から子、子から孫と何世代もかけて作ってきたものでこれまでは生業と結びついていたのに生業と結びつかなくなってしまった。どうやってその費用や維持管理をしていくのか。30年後に帰ってこいと言われてもすべて藪になっていてはなにもできない」
福島県飯舘村長泥地区に住んでいた石井俊一さんは原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)の住民説明会が開かれた際に、そう話した。
石井さんはもともと東京都内で働いていたが、定年退職後に長泥地区に移住した。長泥の自然や住民とのつながりに充実感を得ながら生活していたが、東京電力福島第1原発事故が起きた。
石井さんは現在は東京都に戻り、住民説明会などがあるときに車などで福島に来ている。
6月半ばにも長泥地区を訪れていた。長泥地区では、故郷の景観を守ろうと、年に数回、住民らが集まって桜並木や道路の手入れを行っている。
照りつける暑さの中、集まった住民約40人がマスクと長袖姿で草刈りに精を出した。地区の入り口にあたる国道399号の峠道の桜並木は、半世紀前に天皇、皇后両陛下のご成婚記念の際に植えたもので、住民らが長年守り続け、村の名所となっていた。
同地区は年間被曝放射線量が50ミリシーベルト超で立ち入りを制限する帰還困難区域となっており、住民は福島市などに避難している。
福島市から長泥までは約1時間ほどかかる。石井さんのように東京から駆けつけてくる人もいる。参加者には日当が支給されるが、住民の負担は大きい。自宅の入り口や庭などにも草が生い茂り、その手入れだけでも一日では終わらない。その上で地域内の手入れとなるとさらに負担が増えることになる。
長泥地区の入り口にはバリケードが設置されている。放射線量も高く、住民の立ち入りが禁止されている“バリケード内”で行う草刈りなどの仕事に対して被曝の不安を感じている人もいる。
震災からずっと長泥地区の区長を務めている鴫原良友さん(64)は「地元の人でもいろんな意見がある。今後どうやって地域を維持していくかみんなで話し合って決めていきたい。国や県は地域内で決めろというから自分たちでやっていくしかない。息子達の世代には頼むことはできないかもしれないが、自分たちの世代が生きているうちは管理を続けたい」と話す。
石井さんが話していたように集落の維持は生業の中で行われてきたものだった。それができなくなった今、どうやって集落を維持していくかは大きな問題だ。住めなくなったとはいえ、そこに家や畑、田んぼなどがある。
さらに人と人とのつながりもそうだ。草刈りで集まった人たちは互いの近況などを話ながら、笑顔を見せた。本来なら日々顔を合わせていた人たちだ。
石井さんは「原発の災害への補償というのはこれまでになかったことでこれから新たに作っていくもの。20年、30年分の維持費用をどうやってひねり出していくのか。離ればなれになった人たちが年に数回は集まれるような機会も設けられるようにしてほしい」
(大渡美咲)