
押しも押されもせぬ大人気作家、池井戸潤原作のドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」にはまってます。廃部寸前の弱小の社会人野球部の奮闘に、資金繰りにあえぐこの会社の経営者たちを絡めた逆転劇。「半沢直樹」に比べ、視聴率は伸び悩んでるそうですが、回を追うごとに面白さは倍増してます。
野球好きのルーズヴェルト米大統領が「一番おもしろい試合は8対7」という言葉に由来したタイトル。チームは弱い上に「金食い」として廃部を迫られるのですが、野球部長兼総務部長中心に何とか存続させようと奮闘していて、毎回ウルウルさせてくれます。
そんな話を阪神関係者と話していたら、実は突っ込みどころ満載だったとか。ネットで検索したら、出てきました。長打率の意味が違うとか、データ勝負の監督が披露した数字がとにかくおかしい、などとすぐヒット。私の場合、悪役?のエリート強豪チームのエースがマウンドで笑いながら投げてたり、投手なのにありえないぐらいの細い下半身だったり、そんな選手おらんとは思ってましたが、ま、ドラマですからね。
モデルとなったのは鷺宮製作所といわれています。阪神にもいました。元投手で、現在は球団スコアラーの太田貴さん(48)。岩手の高校を卒業後、鷺宮製作所に5年間在籍し、1989年に隠し玉として阪神に入団。ファームではノーヒットノーランも達成し、1年目から先発と救援でもマウンドに上がった投手です。98年から打撃投手を努め、2005年からスコアラーで裏方さんとして球団を陰で支えてます。
ドラマでは経費削減のために野球部が存続危機に見舞われますが「僕の時も廃部危機っていうのはありましたよ」と太田さん。「部員全員の受け皿工場が変わったことがあった。でもグラウンドは元の工場の近く。仕事が終わったら、グラウンドへ毎回、マイクロバスで通ってましたね」。もともとは故郷で教師になろうと考えていて、プロは頭になかった太田さんは、その危機に「自分を冷静にみれた」と言います。
ドラマでは「青島製作所」の会長が毎度応援に駆けつけていますが、太田さんの時は社長自らベンチに入り、ベースコーチもしていたとか。とはいえ、やはり維持費や人件費のかかる野球部を「金食いチーム」として好ましく思わない人からは嫌みを言われたことも。鷺宮製作所でサーモスタットの製作に携わっていた太田さんは、密室の中でねじりはちまきを締め、溶接作業などして、部品を作っていたそうです。「部費は自分らで稼げっていうのは当たり前でしたからね」
そういえば、他の企業チームでの話ですが、工場勤務をしていた野球部員が作業中に指をなくし、そのまま引退、会社も辞めていった話を聞いたことがあります。企業チームだけに、出なくちゃいけない、勝たなければいけない、という重圧は相当なものでもあります。「そりゃ厳しかったですよ」。太田さんはドラマと違って正社員でしたが、「給料は10万円もなかった。でも、少ない給料からお金を出し合って、夜は酒をみんなで飲み交わす。ボーナスが出たら、先輩が焼き肉に連れて行ってくれた。ボーナスでしか食べられなかった。でもいい思い出です」。
いけすかないエリートチームがいたのも、ドラマそのまま。何度鼻をあかしてやろうと思ったことか。「僕らはまさに泥臭いチームそのままだった」
今、ドラマでは社会人野球の最高峰、都市対抗大会の出場権を目指し、予選が繰り広げられていますが、社会人出身者の多くは「予選の方が記憶に残る」と言います。太田さんが印象深く覚えているのも、ある年の都市対抗予選でした。マウンドで、最大のピンチを迎えたときのこと。周囲に先輩たちが集まってくるといきなり「貴、いつも行っとるもんじゃ焼きの店の名前はなんていう?」。
「そのマウンドで僕も一生懸命考えて『えーっと。あっ、ポーキーズです』と答えてた。そしたら、先輩たちは『よっしゃ、大丈夫やー』。ほんとにくそピンチでですよ」。その試合、みごと勝利を収めたそうです。「本当に厳しかったけど、本当に楽しかった」。今でも当時の仲間たちと集まっているとか。
下火が叫ばれて久しい社会人野球。ですが、たいていの社会人出身選手は「当時は楽しかった」とみな口をそろえます。そういえば、ドラマ開始もあって、都市対抗野球大会主催の某新聞社の夕刊では、あわてて?関連の連載記事をしてましたが、そんな私も、今年7月の都市対抗野球大会で、鷺宮製作所がどんなチームなのかぜひみてみたい。何とか出場してほしいものです。(嶋田知加子)