つぶらな瞳に赤いリボン。今や世界的な人気キャラクターになった「ハローキティ」が誕生して今年で40年。成長の原動力となったのがサンリオ取締役で、3代目デザイナーの山口裕子さんだ。いつまでも新鮮さを失わず、愛され続ける原点には、常にファンの声を聞き「キティは私たちと一緒」という共感や親しみを、時代に即して吹き込む姿勢があった。(戸谷真美)
キティの誕生は昭和49年。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくる猫の名前から「キティ」と名付けられた白い子猫で、身長はリンゴ5個分、体重は3個分。最初の商品は「プチパース」と呼ばれた透明な小銭入れだった。だが初代、2代目のデザイナーが相次いで会社を去り、誕生から数年で人気は低迷していた。
55年、入社間もない山口さんはキティ再生のための社内プレゼンに勝ち、3代目デザイナーに就任した。だが、具体的にどうすれば売れるのか分からなかった。考えた末に、レコード店で自らビラを配る新人歌手を見て、店頭でイラストを描くことを思いつく。休日は系列店でキティのイラストを描き、立ち寄る客の声を聞いた。「いつも同じ格好」「飽きちゃった」「冷たい感じがする」…。ほぼオーバーオール姿だったキティは、メルヘンチックなパステル調で、当時一番人気だった同社のキャラクター「キキララ」とは対照的だった。
「私自身が作ったキャラクターなら、耳が痛くて聞けなかったかもしれない」と山口さん。「冷たい感じ」を和らげようと、まず太い輪郭線をやめ、当時ブームだったクマのぬいぐるみを抱かせた。「『私たちと同じように、キティもテディベアを持っている』という感じで、身近な憧れの存在にしようと思いました」
1年間の米国勤務をへて帰国した60年、「キティのことが大好きなお友達」という設定で登場させたのが、テディベアの「タイニー・チャム」だ。このクマとのシリーズで、キティは同社の売り上げ1位のキャラに成長、その人気は現在まで変わらない。山口さんも今に至るまで、店頭のサイン会を続ける。
その後も、「キティを卒業したくない」という大人の女性の思いに応え、従来の赤を基調としたデザインからモノトーンやパールピンクのトレンドを取り入れ商品が大ヒット。平成に入ると「キティラー」と呼ばれる女性が出現するほどの社会現象にもなった。
商品キャラにすぎなかったキティに物語を与え、時代とともに進化させたからこそ長く愛されてきた。今や関連商品は世界109の国と地域で販売され、マライア・キャリーやレディー・ガガなど著名人のファンも数多い。今年5月には欧州で初めて、キティをテーマにしたミニ遊園地が英国の動物園に誕生した。
5月に東京・渋谷で開いたアート展では、『不思議の国のアリス』の世界を表現、新たな世界を生み出した。飛躍のきっかけとなったタイニー・チャムは7月、動くキャラとして初めて同社のテーマパーク「サンリオピューロランド」(東京都多摩市)に登場する。「タイニー・チャムが生まれなかったら、キティは存続していなかったかもしれない。だからどうしても今年、デビューさせたかった」
タイニー・チャムを独り立ちできるキャラに育てるとともに、キティに託す夢も尽きない。「歌手として紅白歌合戦に出て、アカデミー賞もとらせたい(笑)。まだまだ、やらなければならないことはたくさんあるんです」